想い出綴り

 左の画像は宮内晴美氏からの最後の便りとなった年賀状です。毎年みごとな作品の写真が年賀状で届きました。
 この模型は「飛鳥Ⅰ」(600分の1)です。

 以下、宮内氏にまつわる私(サイト管理人)の想い出を綴ってみました。

出会い

 宮内氏と私の出会いは、昭和50年代終わりごろのことです。艦船 の写真や模型の趣味を通して交友があった横須賀在住のS氏から紹介 していただいたのがきっかけです。
 そのころ私は、慶應義塾大学の通信教育課程に在学中で、毎年夏にはスクーリングのため上京して数週間滞在し、授業の合間をみてはお仕事のご迷惑にならない程度に訪問していました。
 その後も上京のたびには工房を訪ね、模型の事に限らずいろいろなお話を聞かせていただきました。

つまようじ

 私も模型作りを趣味としていましたから、工房に足繫く通いながら、できるだけ技術を勉強させてもらおうと、いろいろ質問を投げかけました。宮内氏はプロの職人ゆえ、「技は盗め。」といった雰囲気はありましたが、質問にはきちんと回答していただけたと思います。
 中でも宮内氏から懇切丁寧に説明を受けたのが、「つまようじ」の使い方でした。これで軍艦の艦橋ブリッジ等にある双眼鏡を作るというもので、結構感動した記憶があります。手作り模型の世界では、ある程度知られている技法ですが、以来、身近にあるちょっとしたものを模型製作のパーツに利用することが楽しみのひとつになりました。

唯一の写真

 結構長いお付き合いだったのですが、一緒にフレームに収まった写真は、たった1枚しかありません。
 昭和62年の春、私が大学を卒業することになったとき、宮内氏と交流のある知人も招き、7人のささやかな祝賀会を大井町のアパートで開いていただきました。そのときみんなで撮った記念写真が宮内氏といっしょに写った唯一の写真です。

宮内流さりげないユーモア

 私は小さいときから船の中でも「南極観測船」が特にお気に入りで、写真撮影や模型製作に力を入れて取り組んでいます。
 舞鶴の造船所で2代目「しらせ」が建造されるにあたり、縁あって進水式に招待していただきましたが、前年に乗り換えた愛車のナンバーを「しらせ」の艦番号と同じにしていたので、「しらせ」が進水し艤装岸壁へ移動したあとで対岸から「しらせ」と愛車のツーショット写真を撮り、宮内氏に送りました。
 数日後、宮内氏からハガキが届き、こう書いてありました。
  「車体がオレンジ色でなくて安心しました。」

見えないところを作り込む

 あるとき、宮内氏が「模型船内の見えない部分を作ったりすることある?」と私に尋ねられたことがあります。宮内氏はたまにそうした遊び心で模型製作を楽しんでおられたようで、その話をかなり熱く語られた記憶があります。私も模型を製作しているときは、そのとき心の中に浮かんだ言葉などを模型の内部に書いたり、完成後は見えなくなる部分の作り込みにこだわることもたまにありますので、宮内氏とかなり意気投合した思い出があります。

細部にこそ、神は宿る

 以前、NHKで放送された「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で、ある菓子職人の方の「細部にこそ、神は宿る」というフレーズを聞いて、すぐさま宮内氏の模型のことが脳裏をよぎった のを憶えています。
 「緻密であると同時に美しくなければならない。」 この非常にむずかしい両立を、宮内氏はいつも追求されていたと思われます。 どのスケールの作品でも、細部の作り込みに細心の注意を払われ、作り込み過ぎて不細工になっても、省略し過ぎて間の抜けたものになってもだめで、その見極めがとても重要だとおっしゃっていました。だからこそ、宮内作品はどれも美しいのだと思います。
 「船は、水面に浮かび、少々の波でも転覆することなく航走するという大前提でいろいろな制約を受けながら建造されるにもかかわらず、とても美しい。まさに巨大な芸術品だ。」といった趣旨のことを語られたのを記憶しています。

手紙に綴られていた宮内氏の夢

 平成19年から20年にかけて宮内氏からいただいた手紙には、同氏の30年来の夢が時折書き綴られていました。それは「モデルシップのディスプレイ展開」です。企業や店舗のロビーなどに花が飾られ華やかさを醸し出しているごとく、美しい客船等のディスプレイ用モデルが雰囲気づくりの効力を秘めていると考え、リース用モデルを製作して広め、その効果を見極めたい。そして、自分が思い続けて来たことが果たして正しかったのか、早く知りたくて仕方ない・・・と記されていました。そのため、当時は100点のディスプレイ用モデル(「ふじ丸」や「飛鳥Ⅰ、Ⅱ」など)の製作を目標に、多忙な日々を送られていたご様子でした。

最後の訪問

 宮内夫妻が都心を離れて千葉県に引っ越されたことを聞き、ぜひ訪ねたいと思いつつも、なかなか機会がありませんでしたが、平成20年7月、初代「しらせ」の退役記念パーティーに招待され、横須賀に行く機会ができました。このときは、7年前に私が製作し、ある縁で「しらせ」に寄贈することとなり、艦内の公室に飾られていた200分の1の「しらせ」の模型を、退役に際して引き取って帰ることが目的でした。
 宮内氏に手紙を出すと間もなく返事が届き、とても楽しみにしているとのことでした。手紙にはバスの時刻表が添えられ、その後の電話では、浜松町から飯岡までのバスの乗り方など、事細かく教えてくださいました。
 到着すると、夫人が飯岡周辺を案内され、宅へ戻るとたくさんのご馳走でもてなしていただきました。食後の宮内氏との語らいの中で、今まで全く触れられたことがない、図面の話になり、たくさんの図面を見せていただき、「使いたいものがあれば、貸してあげるからコピーしていいよ。」と言われ、お言葉に甘えて何枚かお借りしました。
 こうして1日があっという間に過ぎ、おだやかな笑顔に見送られて宅を去りましたが、まさかこれが永遠の別れになるとは、ついぞ思いませんでした。
 なお、この最後の訪問は、「しらせ」の模型を迎えに行くことがあって、ようやく実現したことであり、船の模型が引き合わせてくれたものだったと思わざるを得ません。

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